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ファウンディングパートナー瀧本哲史 逝去のご報告。追悼文を公表させていただきます。

2019.08.17
弊社ファウンディングパートナー瀧本哲史が8月10日に逝去いたしました。追悼と感謝...

弊社ファウンディングパートナー瀧本哲史が810日に逝去いたしました。追悼と感謝を込めて弊社代表取締役CEO野村慧から以下コメントを発表させていただきます。

皆様方

このたび弊社ファウンディングパートナー瀧本哲史が逝去いたしました(以下、日ごろ瀧本を「瀧本さん」と呼んでおりましたので、以下「瀧本さん」と記載させていただきます)。皆様方には、生前より賜りましたご厚誼に対して、心より御礼申し上げます。瀧本さんと亡くなる直前まで、未来をともに語り、ともに仕事に熱狂したものとして、瀧本さんとの日々をここに記録に残し、多くの方に「瀧本哲史」という人間がいかに素晴らしい生き方をしていたかを知っていただければと思います。追悼と深い感謝を込めて追悼文を発表させていただきます。

弊社の共同設立者であり、最大の支援者であり、最大の理解者であった瀧本さんを失った悲しみは深く、深い喪失感のなかにおります。瀧本さんと過ごした日々は短いものでしたが、深淵な時間でした。亡くなったとの一報を受けた時から、瀧本さんの表情、仕草、言葉が走馬灯のように思い出され、頭から離れることはありません。悲しみとともに瀧本さんへの感謝が込み上げてまいります。母親を亡くしたとき以来の感情であり、いかに瀧本さんが深い愛情をもった方であったかを再認識しています。

瀧本さんと私の出会いは、約1年半前に遡ります。20182月に一橋大学の大学院で開催されたカンファレンスの登壇者として瀧本さんの講演を聞いたことが初めての出会いでした。このカンファレンスは、日本の弁護士が海外に積極的に進出し活躍することが、これからの日本のリーガルマーケットにとっていかに重要であるかを議論するものでした。カンファレンスの企画から登壇者の選定まで主導していたのが、久保光太郎弁護士(現AsiaWise法律事務所の代表弁護士、元西村あさひ法律事務所パートナー弁護士)でした。久保さんは、アジアやインドに強みを持つ弁護士として活躍されていますので、クロスボーダーで活躍する日本人弁護士が不足していることやアジアのリーガルマーケットの現場の状況をご教示いただいたり、お互いの将来のヴィジョンについて議論したり、ときには市場調査のため中国北京をともに訪れるなど、懇意にさせていただく関係を続けておりましたので、久保さんからご招待をいただいたこのカンファレンスに参加することにしました。

当日仕事を早めに切り上げてカンファレンスに出席しました。その際に、頭の回転の速さに口がついてこないほどのスピードで講演をしていたのが、瀧本さんでした。カンファレンス終了後に久保さんへご挨拶に行った際に、瀧本さんを紹介いただき瀧本さんと名刺交換しました。講演の感想と私が日頃考えているリーガルマーケットに関する課題意識を伝えたところ、「君!面白いね!!興味ある!」と甲高い声で叫んだあとにラインを交換したのが始まりでした。登壇者と関係者の飲み会に聴衆の私がなぜか参加することになり、瀧本さんと飲み会の席で前に座って議論しました。

そこで意気投合し、1ヶ月後に会うことに。ホテルのラウンジでランチをしながらリーガルマーケットやお互いの生い立ち、物事の考え方などを語り合うなかで、瀧本さんから「一緒にビジネスをやろう」と言われたのです。全く思いがけない申し出でしたので、何か騙そうとしているのかなと勘繰り、失礼ながら「なにが狙いですか」「瀧本さんの下にはさまざまな起業家から投資依頼が来るでしょうから、なぜ私に投資する必要があるのですか」と言ったこともありました。今振り返るとなんと失礼なことを言ったのかと思いますが、瀧本さんは、怒ることもせずに丹念に理由を説明していました。そこで瀧本さんの投資する判断基準として次の言葉をいただきました。

「完璧に作られたパワーポイントで投資を依頼してくる起業家は、成功確率が高くないのです。なぜだかわかりますか?それほどまでに作りこまないと売れない商品だからです。いいものは、パワポを作らなくてもいいものです。私が投資判断する際には、事業計画書等は必須ではありません。むしろないほうがいいくらい。自分から売り込みに来るというのも成功確率が高くない。売り込みに来る起業家への投資は、私はかなり慎重なんです。こちらから口説くんですよ。」

瀧本さんは、本質を見るということを重視される方でしたが、投資判断でも同様の姿勢でした。表面をいかに飾ろうとも認めない。すべては本質であるという強いメッセージを感じました。

さらに、その1ヶ月後、瀧本さんから「ご提案資料持参するので、もう一度お会いしましょう」との連絡があり、銀座の喫茶店でお会いしました。バッグのなかからA4 1枚の紙を出され、そこには、「出資内容について」という記載があり、瀧本さんに有利とはいえない内容で出資提案が記載されておりました。提案資料が不公平なものであった場合には、断るつもりであったものの、その内容を見たときに非常に驚きました。それでも、私は前職で執行役員を務めるなど比較的安定した立場であったこともあり起業することはその立場を捨てることになると相談すると、「野村さん、それだけでいいんですか?まだ若いのに現状に安住して人生振り返ったときに満足ですか?」と甲高い声で言われ、あまりに的確な指摘に思わず笑ってしまい、そこで白旗をあげました。この人には敵わないと。私の気持ちをすべてお見通しだなと。さらに畳み掛けるように、「必ず成功できるから」と確信をもっておっしゃり、「私が投資している人は、成功する確率は高い。大丈夫だから。」と背中を押してくれたのです。こうして私は起業の決意を固めました。その後、二人で食事しながらそのときの様子をよくネタにしながら笑って話したものです。「一本取られましたよ」と言うと、にやにやしながら子供のように微笑んでいた瀧本さんの表情が今も脳裏に焼き付いて離れません。

その後、開業準備を二人で進めていきました。オフィスを探すときも一緒に回り、二人で座って、「この椅子どうかな」とか、「丸テーブルのほうがいいんじゃない」とか、本当に楽しくわくわくする時間を共有しました。とくにテーブルの色や形は、瀧本さんのこだわりが強く、「デスクをどうするか、その細部にも会社の理念が現れる。理念をもって選ぼう。」と。ここまでこだわるのかと驚いたものです。一流は、細部にもこだわる、一流でない人間は、細部を軽視するといつもおっしゃっていたことを体現されているようでした。

本格開業を201921日と設定し、会社のヴィジョン等を議論するなかで、「せっかくやるんだから、大きいヴィジョンを描こう。我々二人の人生の時間だけでは困難と思えるヴィジョンを掲げ、利己的にならずにやろうじゃないか」とおっしゃっていました。私も完全に同意でしたので、あるべき理想から逆算しヴィジョン、バリュー、ミッション等を定めていきました。瀧本さんと毎日議論しながら弊社が社会にいかに貢献するのかが定まっていきました。並行して、優秀な仲間が次々と現れ、ともに闘う同志との出会いもありメンバーが揃っていきました。

そんなときに、瀧本さんからよく言われた言葉。

「創業時の経営者の最大のリスクはなにかわかりますか?採用です。」

「経営者は孤独です。とくに創業時はメンバーが少ないため、人を増やしたくなる。そこに大きなリスクが潜伏している。本来の採用の意味を離れて、経営者は孤独から逃げようと採用に走ろうとするのです。派手にやる必要はない。派手に見せてつぶれるベンチャーはいっぱいある。」

孤独を受け入れる強さと忍耐力を持てと言われているようでした。チャットで毎日のようにやりとりをすると、「どうもどうも」とすぐに返信がありました。友人のような返信で、まったく偉ぶることもせず、フランクにジョークや(笑)を多用し、ときにシニカルでした。創業前後の経営者の心の動きをすべて把握しているようでした。短文ながら、的確にポイントをアドバイスする方でもありました。「野村さん、本当に大事なポイントは短文で言える。価値のあるものは、実は複雑なアドバイスではない。複雑な表現をするのは、本質が分かっていないからだ。」と。瀧本さんが言うと説得力が違います。ずばっと切れ味するどい物言い。忖度などありません。本質を淡々と語る方でした。

20191月末日に前職の執行役員を退任し、21日に事業を開始いたしました。21日の朝にオフィスで祝杯を挙げ握手をしてスタートを切りました。クライアント候補にご挨拶状などを送り、ホームページの開設を行い、本格稼働できたのが、2月中旬。3月中旬には、クライアント数は、100社を超えて対応が追い付かない状況になるほどの立ち上がり。専属契約で依頼していただける大手企業、企業法務系法律事務所が続々と現れ、瀧本さんと考えた戦略がことごとく当たっていきました。

私が「垂直立ち上がりで驚いています」と言えば、瀧本さんは「そういうものです。マーケットに向き合う。それだけやればいいのです。小手先に走る必要はなく、感動を与えるサービスを提供すること。それだけに集中する。それだけで成功できますよ。」と涼しい顔をして、想定内と言わんばかりでした。先を読む力、卓越した戦略提案力、工数ではなく発想で勝つ姿勢等、多くの起業家を育ててきた瀧本さんの実績に裏打ちされたアドバイスに唸ること数しれず。瀧本さんの投資先であるPROGRIT、クオン、オトバンク等の会社の成長過程を引用しファクトに基づいて数々のアドバイスをいただきました。意思決定の局面では、瀧本さんと私の意見が割れたことはなく、全力で背中を押していただきました。

2ヶ月前には、体調を崩されている様子は微塵もみせず、一緒に大手渉外法律事務所の経営層とのコンサルティング提案会議に臨み、切れ味するどい意見を早口で捲くし立てる瀧本さんに圧倒されることもありました。

瀧本さんの人物評の多くは、厳しいとか、怒られたとか、バッサリ切られたとかが多いのですが、私と瀧本さんとの関係では、そういう印象はないのです。いつも「着実にやれば成功できる。本質の仕事をしていこう。」とか「その発想でいいと思います。」とか、激励が多く、意思決定で意見が衝突したことはありませんでした。それが何を意味するかはわかりませんが、私のなかの瀧本さんの人物評は、常に寄り添い「大丈夫、それでいこう!」と後押ししてくれる柔和で優しい方でした。ランチをしながら芸術の話をすれば、博覧強記でどこまでも深く会話をできる教養と一瞬で本質を見抜く目利きの力。肩書や実績ではなく、目の前にいる人物等身大だけを見るバイアスのなさ。そんな印象です。物事を多様な視点で分析するお手本を示すように語りながら、オフィスの地下でパスタを食べた光景を今も忘れられません。

瀧本さんと構築したヴィジョンと戦略を忘れずに、志を高く社会に貢献するための歩みを止めるつもりはありません。瀧本さんとの最後の会話は7月下旬でした。そのときに経営課題として1点伝えられました。その1点は私のhomeworkとしてここには記載しませんが、それだけを意識して取り組んでほしいと。最後のメッセージだったのでしょう。そのときばかりは、少し厳しかった。

瀧本さんの遺志を受け継ぎ成長をとめず、まだまだ走りたいと思います。ここで満足していたら瀧本さんに怒られることは間違いないので、歩みを止めず一歩一歩前進してまいります。弊社は、瀧本さんの遺志を受け継ぎ、リーガルマーケットの発展に寄与することをここに誓い筆をおきたいと思います。

なお、瀧本さんが逝去したことで弊社の事業成長が、鈍化することはありません。やるべきことは明確であり、現状も平常どおり業務に取り組んでおります。励ましのメッセージをいただきました多くの関係者の皆さま、心より御礼申し上げます。今後ともよろしくお願いいたします。

最後に。

瀧本さん、出会って1年半という短い時間でしたが、瀧本さんとともに走った日々を忘れません。偉大な思想家であり、教育者であり、卓越したビジネスマンでした。失ってから、あなたの偉大さを日々強く感じます、あなたの深い愛情と若い世代に伝えたかった想いを。1人の生き方がこれほど多くの人に影響を与える現実を目の当たりにさせていただきました。少しでも近づけるように生きていきたい、そう強く思います。悲しみもあるけれど、ともに過ごした感謝の想いのほうが強く心が温まります。瀧本さんの最期の1年をともに過ごせた幸運に感謝し、その気持ちを直接伝えたかった。ありがとう瀧本さん。また、お会いしましょう。それまでお元気で。

                                   2019年8月17日                              代表取締役CEO 野村 慧